園長日記

芦別という町の教会のこと

 

 余市町に「リタ幼稚園・余市教会」があるように、北海道の芦別市にも「芦別教会」という教会がありました。しかし、余市教会のように毎週日曜日に礼拝をおこなっているわけではありません。芦別は炭鉱の町として栄え、最盛期には人口が75,000人ともなりました。その時代に芦別にも「芦別教会」が建てられて、たくさんの人が礼拝をしていました。ドラマ「相棒」の水谷豊さんは芦別市出身だそうで、こどものときにはこの芦別教会の教会学校(こどもたちの礼拝)に通っていたと言われています。さて、そんな芦別ですが石炭から石油へとエネルギーが政策により転換されていく中で、炭坑が閉山していき人口が減少していきます(これは芦別に限った話ではなく、各地の炭鉱の町でも同様のことです)。街から人がいなくなり、やがて教会からも人がいなくなってしまったのです。ついには教会の活動が続けられなくなり、教会の建物も取り壊さなければいけない、ということになりました。そんなときに、北海道の教会のある人々が「毎週の教会の活動は続けられないけれど、この建物を残してみんなで大事にしていこう」と声を上げました。人が去っていかなければならなかった悲しみを忘れないために、と。そして、「芦別祈りの家」として管理することになりました。それから、毎年夏に5泊6日で高校生や大学生がキャンプをして草刈りやペンキを塗って建物のメンテナンスを続けました。しかし、近年建物の老朽化と傷みが激しくなってきてしまいました。そんな中で、教会の屋根の十字架が折れてしまったのです。折れたと言っても十字架の根元から折れてしまったのではなく、十字架の横の木が崩れ落ちてしまったのです。十字架はキリスト教のひとつのシンボルであり、教会では次のような言い方をよくすることがあります。十字架の縦の木は「神さまと人とのつながり」、十字架の横の木はイエス・キリストが繋ぎ合わせた「人と人とのつながり」のことなんだ、と。

 その「横の木=人と人とのつながり」が崩れてしまった。コロナで多くの制限が強いられていた間、この建物のメンテナンスのためのキャンプも行うことができていませんでした。同時に、コロナによって人と人との距離が強いられたり、すれ違いが起こったり、孤立が深められていってしまいました。十時がが崩れ落ちたということは、そんな暮らしの悲しみや痛みを象徴しているように感じました。この夏休み、私はこの芦別の教会の十字架をなおすためのキャンプを幾人かの牧師さん達と計画しました。そして、こどもも大人も含めて延べ50人くらいが集まってキャンプを行うことができました。北海道だけではなく、東京、仙台、台湾からも参加者がありました。敷地の草刈りや倒木の撤去。建物内の清掃。そして、新しい十字架の付け替えを行うことができました。新しくなった十字架を見て、人と人とのつながりが回復していく様や、人と人とが出会い、関わり合い、語り合うことの大切さを感じました。そして、そこに人が生きていく上で欠かすことの出来なあたたかさがあると思いました。リタ幼稚園はキリスト教保育を志して保育をおこなっています。一人ひとりが大切な存在として出会い、関わり合い、語り合って心を伸ばし、違いを喜び合う営みを続けていきたいと思います。そこに人が生きる上で必要な力の源、「あたたかさ」があると信じるからです。「人は一人ではなく仲間の中にあってこそ自分らしさが発揮される」ことをあらためて心に留めていきたいです。

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