園長日記

神さまからのプレゼント

 

さくら組のある子どもが、担任の先生に連れられて私のところへやってきました。「どうしたの?」と声をかけると、どうやら私に聞きたいことがあるようでした。よく見るとその子の手には礼拝で使う聖書がありました。「先生、これ(聖書)は誰が書いたの?何のためのものなの?」きっと勇気を出してやってきてくれたのでしょう。恥ずかしそうに体を半分担任の先生の後ろに隠しながらのやりとりです。けれども、その目は真剣でした。

私は正直、戸惑いました。なぜなら、聖書は誰が書いたか、書かれた目的は何か。諸説あるもののはっきりとしたことはまだまだ仮説の域を出ないからです。「いやー、それがさぁ。いろいろ調べているんだけど、本当のところはわからないんだよね。」

そう言いかけたときに、その子どもの真剣な目がじっと私を見つめてくれているのに気がつきました。そして、自分が発しようとしていた言葉は「正論によるごまかしだ」と感じました。確かに「わからないものはわからない」ということも時には大切です。でも、この問いかけは「自分自身が問われている」ような気がしたのです。そう思ったので、急いで言葉を引っ込めました。そして、「聖書はね、神さまからのプレゼントだと思うよ。〇〇くんのこと、そしてみんなのことを神さまがどれだけ大事に思っていてくれているかを教えてくれるためのね」と伝えました。たどたどしい言い方だったと思います。けれども、その子は「にっ」と笑ってお部屋へと戻って行きました。

子どもたちの真剣な問いかけは、時に不意打ちのようで、そしてとても鋭いものです。時にその問いかけの鋭さゆえに、ごまかしたり、適当に流したりしてしまうこともあります。でも、その真剣な問いかけと眼差しを受け止めてもらった。悩みながらも、応答してもらった。そんな経験が子どもたち一人ひとりの心を豊かに育んでいくのではないかと思います。そして、同時に問いかけられた私たちにもたくさんの気づきや変化を与えてくれるのではないでしょうか。

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秋田ふき迷路

 

5月28日(月)に「どりーむ・わーくす」の棧敷さん(りゅうじおじさん)の畑で「秋田ふき迷路」を体験させてもらいました。

大きさに驚きました。そして、迷路の中の不思議な世界に心がワクワクしました。

大人の背丈ほどまでに成長する秋田ふきを見て、どうやってこんなにたくましく成長していくんだろうと思いました。すると棧敷さんは「ふきは周りのふきに寄りかかりながら成長していく。だから、一本が小さいからといって取り除いてしまうと、まわりのふきも伸びていかなくなる」という趣旨のお話をしてくださいました。

ふきはそこまで強くはありません。むしろ折れやすい植物です。それゆえにまわりのふきと支え合って伸びていく。確かにふき畑の外側のふきは背が低いことに気がつきました。小さくても、その一本が周りのふきには必要とされているし、小さい一本のために周りのふきが存在している。そんな相互の関係といのちの不思議さを感じました。

私たちも、小さいこと、弱いこと、できないことを取り除きたくなったり、諦めてしまいたくなるかもしれません。でも、むしろその「小ささや弱さが私たちの人生にとって必要で、誰かと一緒に生きるために必要な鍵なのかもしれない」とこの度のふきの迷路を通して思わされました。

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