園長日記

数字にはできない豊かさ

 

 数字に表したり評価することのできる力を「認知能力」と言います。例えば「100mを何秒で走れるか」とか、「縄跳びを何回跳べるか」、学校であれば「テストで何点取ることができるか」といった具合です。これに対して「非認知能力」と呼ばれるものがあります。「数字には表したりできない力」のことです。これまでの教育現場においては、この「認知能力」を伸ばす取り組みがなされてきました。しかし、近年「非認知能力」の向上に主眼が置かれるようになってきました。

 たとえば、うまくいかないこと(「認知能力」的には点数は低いかもしれません)があっても、「どうやって気持ちを立て直して行ったか」といった「心」を育むことの大切さです。それらは決して数値化できるものではありません。また、すぐに結果に結びつくようなものでもありません。でも、この心の育ちがこどもたち一人ひとりが生きていく上で必要な力であると捉え直されてきているのです。

 年長のたんぽぽ組では「チャレンジカード」の取り組みを行っています。縄跳びや鉄棒、跳び箱やフラフープなど自分が取り組んでみたい種目を選んで、自分で目標を設定します。目標を達成するとシールを貼っていく仕組みです。もちろん得意なことに取り組んで伸ばしていこうとするこどももいます。自信を持っている。もっとできるようになりたいという気持ちはとても素敵なことです。そうやって、自分で選び自分で目標を設定するので「やってみる!」という意思や「もう一度!」という粘り強さが豊かに育っていると感じます。そのような取り組みを通して「数字」が表に出てくることもあります。「〇〇段できた。〇〇回跳べた」と。保育者はその喜びを共にしつつも、そこに至るまでの葛藤や試行錯誤、また、どんな関係性の中で取り組んでいったのか(こどもたち同士の言葉の掛け合いなど)、ということに目を注ぐことを大切にしています。

 さてその中で、あるこどもが自分の得意なことではなく、苦手なことをチャレンジカードの種目にしていることを担任の先生から教えてもらいました。私はこの「苦手なことを選んだ」という時点でシールを貼ってもいいくらいだと感じました。失敗を恐れて苦手なことや初めてのことを遠ざけてしまうことの多い私は、自分の苦手だと思っていることをそれでも「やってみよう!」と思うそのこどもの心の豊かさに心が震える思いでした。

 こどもたちの取り組みの様子を見ていると、そこには励ましがあったり、できないことの悔しさを共感や、できるようになったことを心から喜ぶ姿が見られます。それは、たんぽぽ組はもちろん、さくら組、ちゅうりっぷ組、すみれ組のこどもたちの日常の中にも溢れています。

 先日、園庭でフラフープをしているこどもがいて私もフラフープに挑戦しました。しかし、私はなかなかうまく回すことができません。気がつくと三、四人のこどもが集まってきて、フラフープを手に持って挑戦しています。私はこどもたちに励まされながら何度かフラフープを回すことができました。すると、ちゅうりっぷ組のあるこどもが手を叩いて喜んでくれたのでした。集まってきたこどもたちの「輪・和」には、数字にはできない豊かさが溢れていました。思いを馳せること。信頼を寄せること。励ましたり、共感すること。その一つひとつがこどもたちの生きる力の源になることを信じます。そうやって、豊かな心を育むことのできる幼稚園でありたいと願っています。

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「ことば」をたいせつに

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止措置の真っ只中だった2021年度にリタ幼稚園では保育の中に新しい試み取り入れました。それは、クラスミーティングの際に「こどもたちが自分の言葉で話す時間」を設けた、ということでした。これまで、このクラスミーティングでは概ね先生からこどもたちへのお話の時間でした。それは、大抵の場合一方通行気味でした。けれども、こどもたちにも思いを語ってほしい。みんなの前で自分の気持ちを伝える経験や誰かの思いをそっと受け止める経験の中に、今この時代において(特にソーシャルディスタンスなどと言われていた暮らしの中で)本当に大切な力を育む機会があるのだと感じたからです。2023年度のたんぽぽ組の皆さんはそんな経験をたくさん重ねてきたクラスでした。ちゅうりっぷ組の時にこのクラスミーティングで自分の作った作品を紹介するのが楽しみすぎて、クラスミーティングが始まる五分以上前から作品を椅子の下において楽しみに待っているこどもの姿が今でも心に残っています。

 そして、その言葉の届け合いは発展していって、おとまり会のプログラムやリタフェスタの計画に至るまでこどもたちが主体的に関わることとなって行きました。私が感心したのはいつも話し合う前には「どうやったら、楽しく話し合うことができるか」の確認をこどもたちが担任と一緒に行っていたことでした。たとえば、「ダメって言わない・真剣に話を聞く」などこどもたちから意見が寄せられます。それは全て「楽しんで話し合いをしたい・みんなでやりとげたい」という思いから生じたものでした。大人の都合のいいように話し合いを進めるための「真剣に聞く」ではないんですね。こどもたち自身がよりよくあるためのものなんです。そういう土台を確認することで、自分の思いを安心して届けられるようになるのです。でも、いつもうまくいくことばかりではありません。「めんどくさい!大変!疲れる!」そんな率直な意見も聞こえてきます。そうなんです。自分とは違う誰かと一緒に何かを考える、もっと言えば「一緒に生きる」というのはとても「大変」で「難しい」ことなんです。でも、その「めんどくさい」ことを避けては本当に豊かな関係を築くことが出来ません。「大人」と呼ばれるわたしたちでも難しいしできれば避けたいシーンもありますよね。でも、このこどもたちはそのことに誠実に取り組んできたのでした。

 私は卒園式の礼拝の中でそんなみなさんに「言葉を大切にしてほしい」ということを伝えました。言葉を大切にして、相手に届けたり、受け取ったりする。「話し合うこと」を最後まで諦めないでほしい。そのことで、本当の意味での平和というものが生まれると私は信じ「言葉を大切にしてね」とお話をさせていただきました。

「言葉」を大切にしない大人が多すぎると感じます。「言葉」を尽くそうとしないでうやむやにしたり、暴力や武器に頼ったりしようとする大人が溢れるこの世界において、「言葉を大切に生きるこどもたち」は大きな希望だと思います。そして、同時に一人ひとりがこれからも「言葉を大切に、言葉を尽くすことに意味を見出す」ことができる暮らしであるように、今大人の私たちがしっかりと歩んでいかなければならないと心に留めて、これからも幼稚園の保育を行ってまいります。

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