園長日記

あるNG集から考えたこと

 

『ピタゴラスイッチ』という番組がNHKで放送されています。その中で、「ピタゴラ装置」と呼ばれる装置が登場します。これは身の回りにあるものでつくられた手の込んだ仕掛けのドミノのようなものです。連鎖的に色々な仕掛けが作動し、最後には番組名の頭文字である「ピ」という字が書いてある旗が立ったりします。

  私はこの番組を欠かさず見ているというわけではないのですが、テレビで目にした時は、その発想の豊かさや仕組みの面白さにいつも見入ってしまいます。

ある時、この『ピタゴラスイッチ』の番組内で「ピタゴラ装置」のNG集が放送されていました。つまり、仕掛けがうまくいかなかった様子が紹介されていたわけです。これを観た時に、私は「あぁそうか。自分はいつも成功したシーンばかりを目にしていたんだな」そして、「その裏側には、数え切れない失敗や、製作者の苦労や葛藤があるんだなぁ」と思いました。「普段はうまくいった場面しか放送されない・それもいつもいつも一発でうまくいくわけがない」。この当たり前に思えることを、NG集を通して気がつかされたのです。そして失敗したことを紹介できるということはすごいことだなぁと思いました。失敗に向き合いながらの日々がそこにはあるんです。

私たちの人生もそうかもしれません。一回でうまくいくこともあるかもしれませんが、そうではないことも多いのではないでしょうか。生きていく上で、何度も何度も失敗を重ねたり葛藤を抱えざるをえません。けれども、そのままでは終わらずに、工夫をしたり誰かの助けを借りたり、そうやって少しずつかもしれないけれど、「もう一度」取り組んでいこうとするときに、人は確かに成長していくことができるのではないか。そして、私はそういう営みの中に本当の豊かさがあるのではないかと思うのです。

幼稚園での生活を通して、つまり遊びの中で、お友達との関わりの中で、うまくいかないことがあっても、「もう一度やってみよう!」という心を育んでいくことができればと願っています。

 - 日記

こどもたちの寝顔から

 

降園バスに添乗していた時のことです。ある子どもが年下のきょうだいのことを次のようにお話ししてくれました。

 「お家ではよく喧嘩をするんだけれど、寝ている顔はとっても可愛いんだよね。けんかをしても寝ている顔を見ると『まあいいか』ってなるよ」と。私はそのお話を聞いて「『まあいいか』ってとどんな気持ちのこと?」と聞きました。すると「う~ん、優しい気持ちかな」と答えてくれました。

小さなこどもの寝顔を見ていると不思議と、あたたかい気持ちになります。こどもたちは特別に何かをしたのでしょうか。特別な成績をおさめたとか、そういうことではありません。眠っているだけです。語弊を恐れずに言えば、無力な存在です。それなのに、その寝顔は人の心の中に優しい気持ちを届けます。心を動かします。私はこのことから一見、無力に思える小さなこどもたちの中に、人の心をあたたかく照らす希望があると感じます。

クリスマスは神の子であるイエス・キリストの誕生を祝うときです。イエスは神の子であるにもかかわらず、ベツレヘムという小さな町の馬小屋の中で生まれました。ひっそりと世界の片隅のような場所で、そのいのちの歩みが始まりました。聖書はイエスのことを決して力強い、英雄のような形では描きません。

その誕生からして非常に弱々しい、無力な存在として描いています。けれども、そんな小さく弱いいのちに出会った人々は、希望と優しさに溢れていきました。両親であるヨセフとマリア。この家族を受け入れた宿屋。寂しい野原で生活をせざるをえなかった羊飼い。そして、差別を受けていた東の国からやってきた博士たち。これらの人々は、小さなイエスの寝顔に希望を見つけたのでした。そして、とても安心をすることができたのでした。誰からも見捨てられたように思える人生で、この小さな赤ちゃんに「受け入れてもらった」と感じたからです。だから、一人ひとりはとても喜んだのです。この安心とあたたかさをもってお祝いをするのがクリスマスです。

今、私たちが生きているこの世界は「数が多いこと」、「何かができること」ばかりが尊ばれています。けれども、小さなこどもの寝顔の中に、それらでは決して感じることのできないあたたかさ、優しさ、可能性があることに心を伸ばすことができればと思います。こどもたちは、希望です。その希望をクリスマスの出来事を通して確かめ、大切に育んでいきたいと願っています。

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