園長日記

「ことば」をたいせつに

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止措置の真っ只中だった2021年度にリタ幼稚園では保育の中に新しい試み取り入れました。それは、クラスミーティングの際に「こどもたちが自分の言葉で話す時間」を設けた、ということでした。これまで、このクラスミーティングでは概ね先生からこどもたちへのお話の時間でした。それは、大抵の場合一方通行気味でした。けれども、こどもたちにも思いを語ってほしい。みんなの前で自分の気持ちを伝える経験や誰かの思いをそっと受け止める経験の中に、今この時代において(特にソーシャルディスタンスなどと言われていた暮らしの中で)本当に大切な力を育む機会があるのだと感じたからです。2023年度のたんぽぽ組の皆さんはそんな経験をたくさん重ねてきたクラスでした。ちゅうりっぷ組の時にこのクラスミーティングで自分の作った作品を紹介するのが楽しみすぎて、クラスミーティングが始まる五分以上前から作品を椅子の下において楽しみに待っているこどもの姿が今でも心に残っています。

 そして、その言葉の届け合いは発展していって、おとまり会のプログラムやリタフェスタの計画に至るまでこどもたちが主体的に関わることとなって行きました。私が感心したのはいつも話し合う前には「どうやったら、楽しく話し合うことができるか」の確認をこどもたちが担任と一緒に行っていたことでした。たとえば、「ダメって言わない・真剣に話を聞く」などこどもたちから意見が寄せられます。それは全て「楽しんで話し合いをしたい・みんなでやりとげたい」という思いから生じたものでした。大人の都合のいいように話し合いを進めるための「真剣に聞く」ではないんですね。こどもたち自身がよりよくあるためのものなんです。そういう土台を確認することで、自分の思いを安心して届けられるようになるのです。でも、いつもうまくいくことばかりではありません。「めんどくさい!大変!疲れる!」そんな率直な意見も聞こえてきます。そうなんです。自分とは違う誰かと一緒に何かを考える、もっと言えば「一緒に生きる」というのはとても「大変」で「難しい」ことなんです。でも、その「めんどくさい」ことを避けては本当に豊かな関係を築くことが出来ません。「大人」と呼ばれるわたしたちでも難しいしできれば避けたいシーンもありますよね。でも、このこどもたちはそのことに誠実に取り組んできたのでした。

 私は卒園式の礼拝の中でそんなみなさんに「言葉を大切にしてほしい」ということを伝えました。言葉を大切にして、相手に届けたり、受け取ったりする。「話し合うこと」を最後まで諦めないでほしい。そのことで、本当の意味での平和というものが生まれると私は信じ「言葉を大切にしてね」とお話をさせていただきました。

「言葉」を大切にしない大人が多すぎると感じます。「言葉」を尽くそうとしないでうやむやにしたり、暴力や武器に頼ったりしようとする大人が溢れるこの世界において、「言葉を大切に生きるこどもたち」は大きな希望だと思います。そして、同時に一人ひとりがこれからも「言葉を大切に、言葉を尽くすことに意味を見出す」ことができる暮らしであるように、今大人の私たちがしっかりと歩んでいかなければならないと心に留めて、これからも幼稚園の保育を行ってまいります。

 - 日記

「おめでとう」とは言えない中で

 

「おめでとう!」とはなかなか言えないような新しい年の始まりとなりました。能登半島での地震から1か月以上が経過していますが、いのちや暮らしが失われた人々の悲しみと先行きの見えない不安を日々知らされています。お一人おひとりが少しでも安心を得られますように、適切な支援と配慮がなされますようにと願わずにはいられません。

私は2011年の11月に福島県の南相馬市を訪れた経験があります。東日本大震災が発生して8か月が経過したころでした。小さな町の小さな教会に足を運び、その教会の牧師さんや地域の方と交流をさせていただいたのです。お話を伺う中で、避難所に行きたくてもしょうがいのために大人数の中で生活することに不安を抱えていて自宅に戻らざるを得なかった方がいることなど当時の私が想像もしていなかった現実を知らされました。

そして、今でも心に残っているのは「わたしたちは急ぎたくても急げないんです」という言葉でした。当時、私には「早く元の生活を」とか「一刻も早く復興を」という思いがありました。もちろん「1日も早く」というのは心からの願いでもあると思います。しかし、それができないという苦しみや悲しみを私は知ろうともせず、気持ちを置き去りにしてしまい、その結果一人ひとりをたくさん傷つけてしまっていたことに気がつかされたのでした。

私たちは相手の気持ちを「分かったつもり」にはなれるものの、本当のところで「分かる」ことができないものです。その私たちが大切にしたいことは、想像すること、共感すること、心を開き相手の思いを受け止めようとする営みです。そうすることで、全てがわかるというものでは残念ながらないのですが、お互いの距離感が少しずつ縮まっていく瞬間があり、そのことで本当の意味で「共に生きる」ことができるのではないかと思います。

ちゅうりっぷ組で1日の楽しかったことを互いに語り合う時間を持っていました。そこでは誰かの言葉に「いいね~」という応答がなされていました。またあるこどもは「〇〇くんと積み木をして遊んだことが楽しかった」と話し、それに応える形で「ぼくも積み木で遊べて楽しかった」と言葉を交わし合っていました。また、別のこどもは伝えたい言葉があるけれど、「みんなが見ていると恥ずかしくて言えない」と言っていて、それを聞いたまわりのこどもたちはそのこどもを直接見ないようにして耳だけをそのこどもに向けていました。そのことで安心して自分の思いを伝えている姿がありました。誰かの言葉を聞いて、「いいね・素敵だね」と共感する。自分だけではなくて誰かと関わったことに価値を見出し喜び合う。「恥ずかしいから」という気持ちを汲み取って、安心して話すことのできるように配慮する。

ちゅうりっぷ組が始まった4月当初ではなかなか見られなかったこどもたちの姿であり、今他者へと心を伸ばし、そのことを楽しんでいる、喜んでいる豊かな心の成長をここに見ることができます。そして、この「共感」や「心を伸ばす」営みが、自分とは別の他者への気持ちの想像という「生きる」上で大切な力の土台となっていくと思うのです。そのように育まれた一人ひとりの心が傷つき悲しむ誰かの心を受け止めることができる。そのような日が来ることを信じてリタ幼稚園での保育を行っていきたいと願っています。

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