園長日記

変わらないもの

 

 同じ1日」は二度となくて、今日は昨日とは違うし、明日もきっと今日とは違う。そういう毎日を生きている・・・。そんなことを幼稚園の合同礼拝でお話をしました。すかさず「どういうこと?」とちゅうりっぷ組のこどもから質問があり、「毎日朝、起きた時、ぴったり同じ時間に起きることはないよね。昨日とは違う服を着るだろうし、ごはんも違うかもしれない。目には見えないけど、髪の毛がちょっと伸びてたり、背もちょっと大きくなってるんだよね。だから毎日が同じっていうのは実はないのさ」と私はこたえました。すると、そのこどもは私の思いを受け止めてくれたような、そんな相槌をしてくれました。言葉のやりとりを互いに交わすことができ、嬉しい瞬間でした。

 絶えず変化し続ける毎日だけど「でも、変わらないものがあるんだけどなんでしょう?」と私はみんなに質問をしてみました。いろいろな反応があって、しっかりと考えたり、言葉を受け止めて応答しようとしている姿を見て一人ひとりがとても輝いて見えました。そして、わたしは「変わらないことは、神さまがいつもみんなと一緒にいてくれることなんだよ」と伝えました。

 礼拝が終わった後にある先生が、「変わらないことはなんでしょう」という私の質問に「幼稚園に来ること」と答えていたたんぽぽ組のこどもがいましたよと教えてくれました。礼拝の時にはその言葉に気がつかなかったので、わたしは急いでそのこどものところに行って話をしました。「礼拝の時に『変わらないことは、幼稚園に来ること』って言ってくれたんだよね?」。「うんそうだよ」。どうやら何人かのこどもが考えを出し合ってそのように言葉にしてくれたのでした。

 わたしは心がとても揺さぶられた思いでした。卒園を控えたこどもたちです。「幼稚園に来ること」が終わってしまうそんな心情の中で「幼稚園に来ることは自分たちにとっては変わらないことなんだ」というのです。きっとわかっているんです。自分たちがもうすぐ小学生になること。「変わっていくこと」を。

 誰にとっても「変わっていくこと」は不安を伴うことでしょう。しかし、変わって行かざるを得ないのがいのちだとしたら、大切なことはその不安や心配とどう向き合ったり、折り合いをつけたり、心を納得させることだと思うのです。そして、今このこどもたちは「幼稚園は自分たちにとって楽しい場所だった。大切な時間だった」と思っていて、それは「変わらない」と言い切れてしまうほどの確かな気持ちなのです。そうやって、「期待と心配の入り混じった明日」を望んでいるのだと感じました。私は「ありがとう。みんなが幼稚園に来てくれてともひろ先生はとても嬉しいです」と感謝を伝えました。

 不安に際してその気持ちを立て直す力、自分にとって大切なものがあると知っていること、そしてそれらの気持ちを言葉にして届けることができる心はなんて豊かで素晴らしいものなのだろうかと思います。それらがきっと一人ひとりがこれから大きくなって、時に変わっていく人生において大切な生きる力になるのだと信じます。

 そうやって、こどもたちが明日が良い日であると望むことができるように、信じることができるように、そんな力を育むことのできる「一人ひとりを大切にする幼稚園」として変わらずに立ち続けていきたいと思います。

 - 日記

冬の身支度から

 

 思いがけず雪の少ない3学期を迎えています。しかし、これから帳尻を合わせるように雪が降るかもしれないとドキドキしています。幼稚園では園庭での雪遊びを楽しんでいますが、そのためには「身支度」が大切です。上下のウエアを着て、帽子をかぶって、長靴を履いて脚半を上げて、手袋を履いて・・・。遊びから帰ってくると、ハンガーにかけてと一筋縄ではいきません。私は高知県で生まれ育って、小学生になった時に北海道に引っ越してきました。ですから、この冬の身支度が自分にとってはとてもハードルの高いものだったことを思い出します。

 ちゅうりっぷ組のあるこどもに「ともひろせんせい、ジャンパーができない!」と声をかけられました。その顔はとても深刻そうでした。話を聞くと脱いだ上着をハンガーに通して、チャックをあげて・・・ということが難しかったようです。私は「よし!いっしょにやってみよう!」と伝えました。でもそのこどもの様子を見ていると、私は特に「手伝う」ということはなくて、隣で「いいね!」とか「もう少し!」など合いの手を入れているだけでした。私の合いの手が変だったのか、面白かったのかは分かりませんが、そのこどもは笑いながらジャンパーのそでを引っ張ったり、裾を揃えてチャックをかけたり・・・苦戦しつつもジャンパーをかけることができました。そして「できた!」と喜びを分かち合うことができました。

 その日のお昼前のことです。朝、一緒にジャンパーをかけたこどもからまた声をかけられました。外での雪遊びから帰ってきたところだったようで「ともひろせんせい!ひとりでジャンパーかけられたよ!」と報告をしてくれたのです。「できた!」という喜びを共有できたことに加えて、「伝えにきてくれた」ということが思いがけず、何だかとてもうれしく感じました。

 私はそのこどもがその日の午後の時間にLaQ(ラキュー)で遊んでいるのをたまたま見かけました。LaQはおとなも組み上げる途中でパーツの方向や、つなげる位置などがわからなくなってしまうくらいに根気や集中力が必要です。しかし、そのこどもは苦戦しながらもねばり強く作品を作り上げていました。そしてついに出来上がった作品をともだちや先生と喜び合っていました。

 私は朝の「ジャンパーをかける」ということと「LaQの作品を作り上げる」ということが繋がりを持っているように感じました。最初は難しかった「ジャンパーをかける」ことを挑戦してなしとげて、その自信がその一日のなかで何度もそのこどもを支えたのではないかと感じたのです。

 あるたんぽぽ組のこどもからも同じように外遊びから帰ってきたときに「ひとりじゃできない!」と呼ばれました。私が隣で見守っているとそのこどもは一人でぬれた靴下を着替え、上下のウエアをハンガーにかけています。そのときのこどもの言葉が忘れられません。そのこどもは「順調!順調!」と言いながら、満面の笑みで身支度をしているのでした。自分は「できるんだ・順調なんだ」と心地よさを味わっているように感じました。その後は、お部屋で意欲的に制作に取り組んでいました。「順調!」という気持ちがその次の「やってみよう!」を引き出しているように感じました。生活の中で手にした自信が遊びこむ力へ、そして遊びこむことで養われた力が今度は生活の中でも発揮される。それはもしかすると、「おとな」からすれば何気ない、見過ごしてしまうようなものかもしれません。また「当たり前」に感じるものかもしれません。しかしそこに意味や喜びを見出すことで、こどもたちの豊かな生きる力を育んでいくことができると考え、これからも保育に努めていきたいと思います。

 - 日記

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