心をたてなおす力
職員室にいるとこどもたちがいろいろな気持ちを携えて訪ねてきます。素敵な作品を作ったことを知らせにきたり、時には塗り絵や折り紙のプレゼントをもってきてくれたりします。また、それだけではなく、困ったことがあったり、うまく気持ちの整理ができないこどもも訪ねてくることもあります。そんな時、「解決」はできないことの方が多いのですが、気持ちの切り替えや立て直すことを一緒にすることがあります。それはこどもの気持ちを伺ったり、少し別の話をしたり、時にはお祈りを一緒にしてみることもあります。
ある朝、さくら組のこどもが職員室のわたしのもとにやってきました。浮かない顔をしています。「おとうさんといっしょがよかった・・・」とのこと。「おとうさんと一緒が良かったんだね。そうだよね。・・・それでも幼稚園に来てくれたんだね。」と私。そのこどもは「うん、そうだよ。ようちえんきたよ」と。私は「幼稚園に来てくれてお顔を見れてとっても嬉しいよ」と話しました。そんなやりとりのあと、そのこどもはさくら組の部屋へと向かっていきました。
その日はよいお天気で全クラスが外遊びをしていました。遠くからこどもたちの楽しそうな声が聞こえます。私は職員室で仕事をしていました。すると、外遊びで誰もいないはずの廊下からとてもすてきな歌声が聞こえてきました。それは6月のさんびかで「かみさまがつくられた」という歌でした。あまりにすてきな歌声なので、職員室で仕事をしていた先生たちと思わず顔を見合わせました。そして、一体誰が歌っているんだろうと気になって廊下を見てみると、朝に職員室に来たあのさくら組のこどもでした。外遊びを中断してトイレに行っていたようで、手洗い場で手を洗い鏡を見ながら歌っています。
たくさん好きな歌があったはずです。流行りの歌やテレビ番組の主題歌など・・・。でもその中でそのこどもは「さんびか」を選んでいて、きっとそれには何か理由があるのではと感じました。「さんびか」は神がわたしたちに関わっていることをあらわす歌です。歌っていたさんびかの歌詞は次のようなものです。「かみさまが/つくられた/このちきゅう/たいようも/くうきも/やまもかわも/かみさまが/つくられた/このいのち/さかなも/ことりも/わたしたちも/かみさまがつくられた/ものすべて/たいせつにします/いつもまでも」。一人ひとりの命はもちろん、地球上のすべてのいのちが神さまにつくられた命であることがあらわされています。
手を洗いながら鏡で自分の顔を見つめさんびかを歌うそのこどもは自分自身が神さまに大切にされているということをどこかで感じてくれていたのかもしれません。そして、そうやって自分の気持ちを立て直そうとしていたのかもしれません。
幼児教育や保育の環境の中で「レジリエンス」という言葉が用いられています。それは、「心を立て直す力」を意味する言葉です。保育の中で私たちはこどもたちの「心を立て直す力」を育んでいきたいと願っています。どうしてもうまくいくことばかりではない人生の中で、どうやって気持ちに折り合いをつけたり、しなやかに受け止めたり、気持ちを切り替えたり、心を立て直したりできるか。それは、うまくいったこともそうではないことも、喜びも、悲しい思いもまず受け止められる環境の中でこそ育まれるのではないかと思います。そういう意味ではリタ幼稚園の保育の土台であるキリスト教保育や「さんびか・おいのり」も心を立て直す一助になるのではないかと思うのです。
数字にはできない豊かさ
数字に表したり評価することのできる力を「認知能力」と言います。例えば「100mを何秒で走れるか」とか、「縄跳びを何回跳べるか」、学校であれば「テストで何点取ることができるか」といった具合です。これに対して「非認知能力」と呼ばれるものがあります。「数字には表したりできない力」のことです。これまでの教育現場においては、この「認知能力」を伸ばす取り組みがなされてきました。しかし、近年「非認知能力」の向上に主眼が置かれるようになってきました。
たとえば、うまくいかないこと(「認知能力」的には点数は低いかもしれません)があっても、「どうやって気持ちを立て直して行ったか」といった「心」を育むことの大切さです。それらは決して数値化できるものではありません。また、すぐに結果に結びつくようなものでもありません。でも、この心の育ちがこどもたち一人ひとりが生きていく上で必要な力であると捉え直されてきているのです。
年長のたんぽぽ組では「チャレンジカード」の取り組みを行っています。縄跳びや鉄棒、跳び箱やフラフープなど自分が取り組んでみたい種目を選んで、自分で目標を設定します。目標を達成するとシールを貼っていく仕組みです。もちろん得意なことに取り組んで伸ばしていこうとするこどももいます。自信を持っている。もっとできるようになりたいという気持ちはとても素敵なことです。そうやって、自分で選び自分で目標を設定するので「やってみる!」という意思や「もう一度!」という粘り強さが豊かに育っていると感じます。そのような取り組みを通して「数字」が表に出てくることもあります。「〇〇段できた。〇〇回跳べた」と。保育者はその喜びを共にしつつも、そこに至るまでの葛藤や試行錯誤、また、どんな関係性の中で取り組んでいったのか(こどもたち同士の言葉の掛け合いなど)、ということに目を注ぐことを大切にしています。
さてその中で、あるこどもが自分の得意なことではなく、苦手なことをチャレンジカードの種目にしていることを担任の先生から教えてもらいました。私はこの「苦手なことを選んだ」という時点でシールを貼ってもいいくらいだと感じました。失敗を恐れて苦手なことや初めてのことを遠ざけてしまうことの多い私は、自分の苦手だと思っていることをそれでも「やってみよう!」と思うそのこどもの心の豊かさに心が震える思いでした。
こどもたちの取り組みの様子を見ていると、そこには励ましがあったり、できないことの悔しさを共感や、できるようになったことを心から喜ぶ姿が見られます。それは、たんぽぽ組はもちろん、さくら組、ちゅうりっぷ組、すみれ組のこどもたちの日常の中にも溢れています。
先日、園庭でフラフープをしているこどもがいて私もフラフープに挑戦しました。しかし、私はなかなかうまく回すことができません。気がつくと三、四人のこどもが集まってきて、フラフープを手に持って挑戦しています。私はこどもたちに励まされながら何度かフラフープを回すことができました。すると、ちゅうりっぷ組のあるこどもが手を叩いて喜んでくれたのでした。集まってきたこどもたちの「輪・和」には、数字にはできない豊かさが溢れていました。思いを馳せること。信頼を寄せること。励ましたり、共感すること。その一つひとつがこどもたちの生きる力の源になることを信じます。そうやって、豊かな心を育むことのできる幼稚園でありたいと願っています。
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