NHK連続テレビ小説「マッサン」の放送を通して、余市の町やニッカウヰスキーが注目されるようになりました。当園の現在の名称は「リタ幼稚園」ですが、設立当初は「余市幼稚園」という名称でした。
なぜ、名称が途中で変わったのか?
そこには、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝さんと妻のリタさんと深い関係がありました。
1960年11月、吉岡一牧師が余市教会牧師、余市幼稚園園長として赴任します。
吉岡牧師・園長が赴任して間もない1961年1月17日、竹鶴リタさん(ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏の妻)が天に召されます。
リタさんが天に召された日の朝、ご子息・竹鶴威さんとニッカ工場長が吉岡牧師宅を訪ねて来られ、葬儀の依頼がありました。
リタさんの葬儀を吉岡牧師・余市教会に依頼した理由としては、、
などがありました。最終的には教会で話し合い、リタさんの葬儀をお引き受けして、葬儀の一切は、吉岡牧師に一任されます。
リタさんの葬儀は、山田町の自宅で執り行われ、お家の前から100㍍にわたって、花輪が並びました。
それだけ、リタさんは町の人、多くの人々に愛されていた方だったのです。
当時の教会そして、吉岡牧師としては、クリスチャンであったリタさんの葬儀を通して、地域の方々や葬儀に参列した方々に、キリスト教のことを知ってもらうチャンスを与えていただいたと考えていました。そのため、竹鶴さんより葬儀の謝礼の申し出があった時に、謝礼は受け取らないと吉岡牧師は伝えました。
しかしながら、竹鶴さんとしてはそれで収める訳にはいかないということで、最終的には、吉岡牧師が願っていることを応援しようということになりました。
その当時、吉岡牧師と余市教会・幼稚園の一番の願いは、木造で戦争や台風で老朽化し、傷んでいた教会堂と幼稚園を新しく建て直すことでした。竹鶴さんの応援があり、地域の様々な人々の働きと協力によって、現在の黒川町の土地を取得し、教会と幼稚園の建てるに至りました。
その時に、土地と建物あわせて、720万円がかかったのですが、そのうち120万円を竹鶴さんより寄付していただきました。その寄付は、リタさんの遺産の一部でした。
そうしたことに感謝を込めて、1962年8月26日に、余市教会は臨時教会総会を開催し、余市幼稚園を「リタ幼稚園」に変更することを決めました。
それからは「リタ幼稚園」として歩むことになったのです。
竹鶴政孝さん、竹鶴リタさんの存在がなければ、今のリタ幼稚園はなかったことと思います。
そのことに感謝をしながら、クリスチャンとして生きたリタさんが大切にされた「愛」を大切にする幼稚園として、こどもたちと共にこれからも歩んでいきたいと願っています。
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