敗戦から80年 平和について
2025年は敗戦から80年を迎える年になります。みなさんは「平和」とはどのようなことだと思われますか。
私は高知県に生まれ高校を卒業するまで小樽市に住んでいました。小樽に住んでいた頃に2度、米軍の空母が小樽港に寄港しました(1997年インディペンデンスと2000年キティホーク)。民間港に寄港する初めての出来事になってしまいました。インディペンデンスが港に停泊している様子が通っていた小学校の近くからよく見えました。秋の青い空と青い空の中に黒い塊が鎮座していてそれが坂の上からよく見えました。とても不気味だったことを覚えています。キティホークが寄港した時にたまたまバスに乗り合わせた米兵と話したことがありました。「自分たちは観光しているんだ」と米兵は言います。「どこにいくの?」と問いかけると「おたる水族館に行くんだ」と言っていました。米兵たちはおそらく20代前半のお兄ちゃんお姉ちゃんでした。自分と大きく歳が変わらない人たちでした。そんな人たちがいのちを奪う訓練を受けて場合によってはいのちを奪うのかと思うと、戸惑いと恐ろしさを感じたものでした。
後に戦争から帰った米兵の多くがPTSD(心的外傷後ストレスしょうがい)を発症し苦しんでいること。また貧困のため学費を支払えずに徴兵されている現実を知り、あのバスの中であった人たちは一体今どうしているのだろうと不安になったこともありました。私が「平和とは?」と考えるきっかけになった出来事でした。
さて、「平和」の定義もさまざまです。「パックス」という「平和」があります。「パックス」とはラテン語で、特に「パックスロマーナ」と用いられます。これは「ローマの平和」という意味です。かつてローマ帝国が軍事力により世界を支配した「平和」を指します。しかし、その本質は「武力による平和」です。「ピース」という「平和」もあります。これは英語ですが、「戦争のない平和」という意味合いがあります。戦争、争いがないことが平和というのはもちろん大切なことです。しかし、「争いがないから平和」とは一概には言えません。お互いに力をちらつかせて、緊張状態が続いている。そこには戦争はないかもしれませんが、心休まることはありません。そんな状態が果たして平和でしょうか。また、戦争がなくても差別や分断が巻き起こっている状況ははたして平和でしょうか。
私はこどもたちと「平和とは一体何か」を一緒に考え、その「平和」を一緒に創り出すことのできる力を育んでいくことができればと願っています。その「平和」を考えるときの一つの土台として「イエスが語った平和」があると思います。イエスはどんないのちも生きていることが喜ばれることを願っていました。そんな「平和」を「シャローム」といいます。この「平和」を創り出すために必要なことはやはり「言葉を尽くすこと」だと思います。「言葉を尽くす」ということは「論破」することではありません。お互いを理解し合うため、喜び合うため、またお互いが良い方向に変化していくことに望みを置いて語り合うのです。
今、「言葉を尽くす」ことが蔑ろにされている暮らしがあります。まずおとなと呼ばれる一人ひとりが「言葉」を大切にしなければならないと感じます。「平和」は実は私たちの日常・暮らしから始まります。夏休み、ぜひ平和について思いを馳せてみていただきたいと思います。暮らしの中で言葉を尽くすことについて考えてみていただきたいと思います。
リタ幼稚園では話し合うことを諦めず、そこに喜びを見出すことのできる力を保育を通して育みたいと考えています。そこに、平和を創り出す力が確かに育まれると信じるからです。
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