園長日記

「夢」と「理想」について

 

 ある人から「『夢』と『理想』の違いってなんだと思いますか」と問われたことがありました。「夢」も「理想」も似たような言葉で、日常の中でもよく用いるのですが、「違いはなんでしょう?」と言われると「あれ?なんだろう…」と考え込んでしまいました。いろいろな考え方があると思いますが、その人によると「『理想』は『理想の自分』から『今の自分』をみて、『これが足りない・あれも出来ていない』とマイナスに考えてしまうこと。一方で『夢』は『今の自分』に『これをやりたい・こうありたい・これもできる』とプラスに積み上げていくことだ」と言うのです。
 これには、なるほどなぁと思いました。振り返って、私が生きる暮らしの中では、どうしても「今の自分」の足りないこと、欠けていること、出来ないこと、ダメなところばかりを見てしまうことが多いように思います。そうやって、「理想の自分」と「今の自分」のギャップに苦しんでしまう。そうすると、自信が持てなくなったり、安心して失敗することができなくなったり、自分なりに生きることが辛くなったりしてしまいます。また、そういう「理想」を誰かに押し付けてしまい、傷つけたりしてしまうこともあります。
 幼児教育においてもしばしば「理想のこども像」を大人が勝手に作り上げてしまい、そこからこどもたちをみて足りない部分を補わせようとしたり、埋めようとして無理をさせてしまうことがあります。「何歳」までにはここまで出来ていないといけない、と。しかし、こどもたち一人ひとりの成長は一人ひとり違っていて、全てが当てはまるわけではありません。でも、「理想のこども像」を追いかけてしまうと、「今、目の前のこどもの姿・すでにそこにある素晴らしさ」を見失ってしまうことになります。そうすると、こどもも大人も「出来なさ・足りなさ」に押しつぶされてしまって、息が詰まってしまったり、お互いにしんどくなってしまう。
 ですから、私たちはまず「今この時だからこその経験や姿」をこどもと一緒に喜ぶ幼稚園でありたいと願っています。ここに、キリスト教が大切にしている「愛」があります。神さまがまず「そのままのあなた」の命を喜んでいる、認めている、という「愛」です。その「愛」に満たされる時、どれだけの安心が与えられるでしょうか。そして、だからこそ、そこから「こうありたい。こんなことをしてみたい」という次の一歩を踏み出せるのではないかと思います。私たちはそのような「愛」を元手にこどもたち一人ひとりと「夢」を描いていきたいと願っています。そのように、こどもたちの「今」を見つめ、向き合い、共感し、喜んでいく中で、今度はこどもたちが安心を得て、これからの人生を歩んでいく上で自分の「夢」を描いていくことのできる心の土台を育むことができると信じるからです。

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